自給自足という言葉が大キライだった僕が猟師になった理由

狩猟免許

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そもそも僕は自給自足という言葉がキライだった

こんにちは。初級ヌートリアハンターのヒラノ(@gonkichi331)です。

 

先日、狩猟免許を受けに行きました。

狩猟免許

 

試験とか何年ぶりだろう・・・ぶっちゃけかなり不安だったのですが、数日前に岡山県の猟友会が主催する狩猟初心者講習会を受けたこともありどうにか合格できました。

 

狩猟をやっていると、自給自足という言葉がついてまわります。実際に山とか持ってる人はそういった生活をしている方もいます。しかし、僕にとってこの自給自足というワードはトラウマでしかありませんでした。

 

『自給自足野郎』を襲名した日

僕は、当時付き合っていた彼女の友達に『自給自足野郎』というアダ名を付けられました。

 

実は、一人暮らしをしてからというもの、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、その他一般的に持っていそうな家電を僕は何一つ持っていなかったんですよね。

 

そんな状況の中、彼女が女子会に行った時に交際相手の話になり、前述のアダ名を付けられてしまったわけです。

 

正直ショックでした。

 

なぜここまでショックを受けるのかついては、まず僕の中での『自給自足』という言葉のとらえかたの説明をせねばなりません。

 

僕は昔から『自給自足』という言葉が大キライでした。言葉の端々からイイコトしてる感が出ちゃってるんですよね。そういうのが本当に苦手なんです。

 

なんか、免罪符のように使ってませんか?『自給自足』ってワードを。でも、そんなカンタンに使っていいのだろうかってずっと思ってました。

 

ガチの自給自足人であれば農業やったり太陽光発電なんかで電力の確保までして、更に生産して余ったものを売却し収入も得てしまうのではなかろうか。なんなら物件など購入せず自分で家を建ててしまうのでは?そういう高度な次元に達した人が自給自足なんじゃないかと思ってます。

 

そういったこともあり、自給自足という言葉がキライになってしまったのですが、そんな僕がなぜ狩猟免許を取るまでに至ったのかをあらためて考えてみました。

 

 

生物が食品になるまでの工程を知りたかった

僕は、自分が毎日食べている食品にたびたび疑問を持っていました。

 

例えば、スーパーに並んでいる牛肉パック。

 

牧草を食べてモーモーと鳴いてる牛は誰でも想像できます。テレビなどでもいやというほど牛の映像は流れますし、牧場にいって実際に生で観る機会はいくらでもあるでしょう。

 

つまり、生きている時の牛の姿形は誰でもすぐに想像できます。問題は、そこから一気に牛肉のパック詰めになるということなんです。

 

牛→スーパーに並んでいるパックになるその間の工程って一切無視されてますよね。だから、自分が毎日食べている物に納得ができませんでした。

 

キリスト教などでは進化論の有無がしばしば論じられますが、あれも結局はサルとヒトのあいだがわからないからという理由です。1番大事である、サルからヒトへの決定的な証拠の骨や痕跡はまだ発掘されていないので、一部の宗教家達はどうしても納得がいっていないという状況がまだ続いています。恐らくこれからも続くでしょう。

 

途中経過がどうなっているのかというのが気になるもので、僕もその点で例外ではありませんでした。

 

動物がどうやって解体され、どのように肉になるのかわからないと食べていて何か納得がいかないなあという感じです。

 

自分の手で命を取り、そして解体して食べる。ここまでしてやっと1つのことがわかるのではないかと思ってます。

 

今回の試験でわな猟と第一種銃猟という、動物を捕獲するための有効な猟具を使う資格を得たので、これからは猟師の目線から動物や食物を見ていきます!