僕はミニマリストを目指していました。
断捨離などに代表されるミニマリスト。シンプルでミニマルな生活をする人。
ミニマルとは「最小限の」という意味。
つまり、最小限の物で生活するというスタイルです。
必要の無いもの排するミニマリズムを追求していたソクラテスは、ある時水を手ですくって飲める事に気づき、唯一の家財道具だった茶碗を割った。
当時読んでいたブログもこういった方が多く、部屋の写真を観てものすごく整理されていることにビックリしました。
例えばキッチン用品だとアウトドアで使うものを使っていたりして、こんなに物が無くても人間は生きていけるんだなぁと気付かされました。
何故ミニマルな生活を目指したのか
僕の場合は、夜寝る前に瞑想をしようとして、物が目に入ってくると邪魔という理由でした。
まずテレビをヤフオクで売りました。服も置き場がないので大量に捨てました。
当時は音楽的にもミニマルミュージックにハマっていた時期でもあり、生活全体にシンプルさを求めていたので処分にあまり抵抗はありませんでした。
当時の自分ルールはこんな感じです。
・2年間使っていないものは処分
・販売されている書籍は全て処分
・CDやDVDは読み込んでHDDに保存
これだけでかなり物を削れました。
ギターも何本か処分しましたが、それでも楽器は残しているものが多く、楽器と機材でかなりの量を占めていました。
ともあれ僕は晴れてミニマリストに足をつっこむこととなりました。
ミニマリストの日々
部屋から物が無くなっていくのはとても気持ち良かったです。
僕は掃除が苦手なので、処分していくにしたがって掃除が楽になり、掃除の頻度が増えました。どこに何があるのかわかりやすくなったので探す時間が省け頭がスッキリしました。
1~2年はそんな感じで気持ちよく過ごせたので、このままもっとシンプルにして生きていこうと決めました。
当時は、流行に乗ってるかもな~なんて変な優越感を勝手に覚えていました。
なんかカッコいいじゃないですか、「私はミニマリスト」って言えるようになったら。
なによりも、新しい自分への変化が単純に嬉しかったです。
ついにマンネリ状態へ
いかにして物を減らしていくか、しばらくそのことばかり考えていました。
しかし、ある日気付いたんです。
「新しい考えが入ってこない」んじゃないかと。
シンプルさを極めた結果、物をほとんど購入しなくなってたんですよね。
思考やアイデアって物に引きずられることが多々あります。他人はわかりませんが、僕の場合はそういったことが多い。
音楽の場合は新しい楽器を手にしたりすると新しい曲が生まれます。タブレットなどの新しいガジェット類もそうです。
それまでとは違う使い方の出来る物を手にすると、「新たな可能性」が見えてきます。
例えば、処理の速い小型タブレットと軽量なBluetoothキーボードがあれば、軽量さを活かして世界各地を渡り歩くブロガーやアーティストが生まれることだってあります。既に著名な方は何人もいるでしょう。
もちろん、物を購入しないということは物をムダに使わず、今ある物で満足するということがベースですから、たいへんエコな暮らしなはずです。
しかし、それだけは進歩が止まってしまうんですよね。
資本主義社会で生きる以上は、たとえ資本主義に片足を突っ込んでいるくらいの生活スタイルだったとしても、消費と進歩が大前提です。
僕はこの葛藤と矛盾に1年ほど悩みました。
「進化的ミニマリスト」を目指したい
僕は今、次世代のミニマリストになりたいと企んでいます。
僕の考える次世代のミニマリストは、新しい物をどんどん得て、そこから新しい経験を得て、その物を流通させる。そしてその経験を世に伝えるということ。
物が自分の所に留まっていては結局以前と同じです。
有益な物はどんどん回す。そこに経済価値がついていても、ついていなくてもどちらでもかまいません。
物から得た経験はどんどん人に伝える。これがダメだった、あれがダメだった、正直な感想ほど有益なものはありません。
持ち物の『一定量』を保ちつつ、その中で常に最新の物を循環させる。
今のところのネックは、「物を次の人に渡す際に経済的なマイナスが生じる」という点です。
この点をどう埋め合わせて実行するのかは現在考え中です。
新しい事を考えるのは楽しいのでやめられないですね(^^)
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