ブロガーとは、つまり宗教家だ。
例えば有名すぎる移住ブロガーのイケハヤ氏を例にあげるが、彼の場合は東京から地方に移住し、低コストで幸せなライフスタイルを提案してそれを実行している。
ブログを読んでいる人達は、こんな生活楽しそうだなと思い徐々に共感を得て、実際に移住する人が現れる。
その時点で既に人々に未来への道筋を示している。これって立派な宗教だと思う。
宗教というのは本来であれば人類の幸せのために作られたものであるはずだ。少なくとも僕は親から与えられた宗教の情報をそのような認識で捉えていた。
全国に、多言語でブログを書いている人ならば全世界に、毎日のように自分が書いた文章を読む人がいる。
「毎日決まった行為を行い、先人の得た知識と経験を元に、不幸を少なくしてより多く幸福を得る」
僕は宗教とはそういう生活に根付いたものだと思っていて、だから割とみんな宗教について難しく考えすぎてるんじゃないかと思う。
例えば、ある南国の地域では朝早く起きることで身体的なメリットがあるとしよう。この地域は大変暑いので、みんな早く起きて作業すると効率が良い、などといったことも含まれる。
これを誰にでもわかりやすく説明するために、「日の出と共に起きて神に祈りましょう」という規律が生まれ、皆で一緒に実践することによって集団の意識が保たれる。
影響力のあるブロガーの人なんかは現代の難しい問題をわかりやすく噛み砕いて説明してくれる。人の悩みは本質的には世代が変わってもさほど変わらないので、その時代、その場所で最初に『気付いた』人が先陣を切って僕らに説明する側に回ってくれる。要するに先生のような存在。
先生=指導者とも言える。毎日、指導者がありがたい言葉をくれる。
それが現代ではインターネット越しになったが、これを宗教と言わずして何と言うか。
僕は宗教を否定していない。むしろ宗教的には完全に少数派に所属していたので、そういった少数派の人達と話すと価値観が似ていたりする。
現在は特にこれといって何かを信仰しているわけではなく、あえて言うのであれば僕が今したいことである移住系ブロガーの方々を信仰しているかもしれない。
移住に特化しているわけではないが、モテ貯金、phaの日記は読んでいて面白い。二人ともあっけらかんとしたイメージを保ちつつ常に攻めてる。phaさんに関しては共著の本を買ってしまった。もう僕も立派な信者だ。
田舎でシェアハウスやりたい、モテながら貯金したい、東京近郊でプロニートしながらたまに田舎のシェア別荘でのんびりな生活したい。なんて常々思っている。
尊師という指導者は時には辛くなる
有名な宗教家の指導者といえば沢山いるが、僕らの世代に強烈なインパクトを残したのはやはりオウム真理教の教祖だろう。
先日、岡田斗司夫さんのニコニコ生放送に出演していた松本麗華さんの動画を拝見した。
彼女は麻原彰晃の三女で、現在は心理カウンセラーとして活動しているという。僕よりも少し年下で、当時事件で疑惑を向けられニュースになった時にTVカメラを向けられ、車のから身を乗り出してマスコミを挑発していた生意気そうな娘という印象だった。
当然といえば当然なのだが、現在の彼女は僕が観る限りでは落ち着いていて知的な女性だった。岡田さんの鋭いツッコミに対しても返答が上手く、水のように受け流しあっさりとカウンターを返す姿にはお見事と言いたくなった。
中でも強く印象に残ったのは、「尊師である父は辛そうだった」という話題。
諸外国がどうかはわからないが、少なくとも日本では新興宗教というのはあまりイメージが良くないし、実際に悪質なものも多数ある。けれども100%悪かといえばそうでもない。
もちろん、僕は当時オウム真理教がやったことを肯定しているわけでは全くなく、その国の法律を犯したのであればしかるべき罰を受けるべきという考えだ。
オウム真理教も少なくとも発足当初は『世の中を良くしよう』という考えもあり設立されたはず。しかし、教団が巨大になるにつれ教祖への要求が増え、父はそのプレッシャーに耐え切れなくなったということを彼女は言葉を選びながら語っていた。
ブロガーにも有名な方になればなるほどそういった見えないプレッシャーがあるのではなかろうかと僕は思う。
自分が勝手にその記事を読んで勝手に実践して失敗したのに、その人のせいにしたりする場合もあるだろう。僕も自分がそういうことをしないか、そういう状態になっていないか常に考えてはいるものの、やはり自分ではわからない。
僕が言えるのは、最終的には自分で考えて自分で行動する、それと見返りを求めないということ。
常に気をつけているがやはりどこかで見返りの事を考えてしまう。
見返りを求めるというのは既にその対象に依存してしまっているので、自分で問題を解決することが出来なくなる。
なので、何か戻ってきたらラッキーくらいに思っていると良い。むしろ、そのお礼を他の人に流してもらっても良い。自分を含む小さなコミュニティが形成されていれば、それが輪のように自分の所に返ってくる可能性も少なくないからだ。
生きることが厳しい時代に強い指導者は必要だが、たまに自分で決断することも必要かもしれない。