小さい頃から冠婚葬祭などの行事が苦手だった
僕は成人式とか卒業式とかの行事も含めて昔から苦手でした。
ああいうのってめちゃくちゃ堅苦しいし疲れますよね。その割にはあまり良い事がありません。
実家にある小学校の入学式の写真をよく見ると僕だけシレっとサボっていてどこかに行っちゃってます。なので僕の写真は残っていません。
疲れそうだなあという理由で成人式も行きませんでした。今でも僕が成人である証拠は運転免許証だけです。
なぜ冠婚葬祭が必要だったのか
そもそもこれまでどうして冠婚葬祭が必要だったのでしょうか?
昔は何かお祭り事があるたびに親戚が集まり、現状報告や相互扶助のような役割を果たしていました。
大体そういう場では「うちの子が実はまだ独身でねえ、、」なんて会話がどこからともなくはじまります。結婚式で知り合ってお見合いのきっかけになり結婚した例などいくつもあるでしょう。
もちろん、30歳をすぎて独身である僕も例外なくそういった舞台にあげられてきました。そのたびに説明が面倒になり、今では『実はイケメンが好き』と切り出し2分で話を終わらせるようにしています。
また、今では完全に騒ぐ事だけがクローズアップされてしまった成人式。これは成り立ちを知らなかったので調べてみました。
実は二十歳が成人という考え方は意外にも歴史が浅く、第二次世界大戦が終わった直後の1946年から成人式が行われるようになっています。
戦後の厳しい社会情勢の中で、将来を担う若者たちを激励しようということで当時の蕨町が青年祭を企画し、「成年式」と呼びました。
戦後復興の食糧事情なども厳しい中で若者を応援するという意味合いで、当時は大変意義のあるものだったと僕は考えています。
こういった背景があり、数十年前までは当事者や参加者に大きなメリットのある行事でした。
その1 ネットでいくらでも互助的な役割を果たせる
僕が小さい頃は通信手段といえば手紙か固定電話しかありませんでした。
手紙は書くのが大変ですし、なによりも届くのに時間がかかります。手紙を往復したらそれだけで最低2~3日はかかります。僕も小学生の頃に郵便を使って文通をしていましたが、とにかく時間がかかって心が折れそうになったことを覚えています。
また固定電話はリアルタイムで話せるものの、数人同時に通話などは出来なくてやっぱり不便。
そうなると、手紙や電話で集めて一箇所に集まる冠婚葬祭のような場所を作るのが効率が良かったわけですね。
しかし今はネットが発達して通信手段が安価になったので、いくらでもそういった互助的な役割を果たせます。海外でも顔を見ながら動画を見ながら話せるようになりました。しかも無料です。
冠婚葬祭をやらなくてもネットをはじめとした通信手段があれば相互扶助の役割は十分に果たせます。
VR技術が更に冠婚葬祭を無くす
スカイプやLINEじゃスキンシップできねえよ!という方のためにVR技術があります。
今後数年でこれを使って部屋の空間を歩いたり、一緒にドライブができるんですよ。すごくないですか?僕達はもうその場所に行く必要がなくなりました。
今あるネットの技術だけでは果たせなかった「感触」や「匂い」なども相手に伝えられるようになります。
すごすぎる!
これは確実にあと数年で悪習が無くなる。いやむしろ無くしてしまいたい。
その2 冠婚葬祭にはお金がかかる
ご祝儀、成人のお祝い、衣装代などのお金がかかります。
冠婚葬祭にはなにかとお金がかかります。無駄なお金は使いたくありません。
なので僕は付き合いだけの冠婚葬祭には出席しません。ブログの勉強代や書籍代に使ったほうがずっと身になります。
この記事を見て、どうしようかな~、、と迷っている人は今すぐ出席をやめてしまいましょう。ラクになりますよ。
その3 冠婚葬祭はとにかく面倒!
これまで2つあげてきましたが、冠婚葬祭に行かない1番の理由、それは最初に書いたように、とにかく面倒であるということにつきます。
わざわざ疲れる服を着て、無理して真面目な表情とかしなきゃいけないのっておかしいです。
生き物として無理な行動を取ると退化するので僕はやりません。同じ面倒なことをするならビジネスモデルの1つでも考えたほうが将来自分の役に立ちますよ。
鬱バンザイ!