phaさんの『しないことリスト』を買ってしまいました。
前々から気になってはいたのですが、表紙から漂うゆるい雰囲気に推されてついつい手にとってしまったわけです。
ちなみにこちら、面白くて一気に読みまして、思うところもありましたので感想などいろいろ書いてみました。
頑張るという精神論を捨てる
以前、フルサトを作るという共著の本を読ませていただいたのですが、phaさんの文章はこの本においても読みやすく、どんどんページを進めていくとこんな一節がありました。
「頑張るのは無条件でいいことだ」という精神論をまず捨てよう。
これはなんとなく普段からみんなが思っていることをわかりやすく完結に言ってくれた感じでスッキリしました。
僕はうつ病の時に頑張れとかいわれてもちょっと対応に困ってしまいます。今まで必死にやってこれだったんだけどな。。と思ったりして。
精神論だけでは何も良いものは生まれないし、何も変わらない。頑張れるタイミングで出来る人は頑張れば良いと思うし、たまにちょっと休むくらいじゃないと長く続かないんじゃないかと思ってます。
昔、村上龍のエッセイを読んだ時にもそんな一文があったような気がします。「日本の企業は根性のことばかり考えて合理性が無い」とかそういったことが書いてありました。
今まで仕事をしてきて、言語にはなかなか出来ませんでしたが、肌でひしひしと感じていた根性論みたいなものはやっぱりあって、そういう雰囲気に僕はとことん疲れてしまいました。
「だるさを怠惰な気持ちとして無視するんじゃなくてもっと敏感になったほうがいい」
これには風邪の一歩手前のことなんかが想像できました。だるいとか集中力が無くなるというのは身体からの異変の信号なのに強引に無視をすると大病になりやすい。
うつ病も心の風邪といわれています。「なんかやりたくないな」ということを続けていると、段々と負のスパイラルに入っていき、気付けば抜け出せなくなっていることが僕なんかは多いです。
そもそも「だるい」と思うシーンって実は自分と相性が合わないことだったりします。
僕の場合は、合わない人がいる飲み会とかたまに途中で面倒になったりします。なので、そういう時は『途中で帰るかもしれないよ伏線』を敷いた上で、その旨をきちんと先に伝えておきます。
本当に自分がやりたいことであれば、まず体調を回復させてからそれを存分にやるというスタイルを貫くと楽になるんじゃないかと思いました。
「今日はだるいので、という理由で会社を休んでもいい」→しかしこれは通りにくいかも
この理由、最高です。僕も使ってみたい。でも、これはphaさん自らちょっと通りにくいかもしれないと書かれているとおり、「頑張る前提」の会社などでは納得してもらうのが難しいでしょう。
逆に考えれば、こういうのが通るという会社を設立してみたいです。(いや、でもやっぱり大変そうだから辞めておこう)
「人は結構何かを頼まれたがっている」→「人は本質的に孤独だからなのだろう」
誰かの役に立って孤独を埋めたいというのは人間の本能かもしれないなと思いました。確かに、自分に照らし合わせると、簡単なことなら頼まれたいかもしれない。
こういった簡単なことは、webサービスにしたら面白そうですね。「ちょっと荷物持ってサイト」とか、「肩揉んでください.com」とか。
頼むほうも頼まれるほうも、とても簡単なんだけど、人とのふれあいが生じる場所こそ現代人が最も欲している場所かもしれません。
付き合い続けることの出来る相手は150人まで
ロビン・ダンバーという進化生物学者によると、人間が安定した社会関係を結ぶことが出来る相手は平均150人らしい。〜中略〜 つまりどういうことかというと、大脳新皮質の厚さから判断すると、ここ何千年か何万年くらいの間、人間は自分のまわりの平均150人くらいと付き合いながら暮らすという生き方を続けてきて、脳もそれくらいの集団生活に最適な感じにできている、ということを表しているのだ。
ちょっとビックリしたのですが、よく考えてみたら僕の場合、定期的に連絡とったりしている人は友人知人の他に家族や親戚とかも含めて50〜60人くらいです。
最大150人ということですが、これをフルで活用してる人はすごい。
本来であれば、人間はMAX150人まで付き合う事が出来て、それで十分に充足感を味わえるように出来ているということ。そしてネットの急激な発達によりそれを軽く突破できる可能性が出てきたということにも言及されていました。
でも本質的に頭の構造がそれに追いつかないので、1000人とか2000人とかになると厳しいようで、まあそれはまだまだ難しいそうだなあと考えつつも、中には聖徳太子のような飛び抜けた才能を持つ人もいて、芸能人なんかはそういう才能がある人もいるんじゃなかろうかと思ったり。
なので、とりあえず近くにいる人を大切に考えたらいいんじゃないかというphaさんの意見に賛成です。
更にネットでの付き合いが増えて、今よりももっと交通機関が安価で速く良くなる時代が到達したら、遠くにいる人も頻繁に会いやすくなります。
だから僕のようなマニアックな人間でも、もしかしたら今後常時150人まで増えるかもと想像してしまいました。こういうこと考えるのは本当に楽しいですね。
予定を守らないとワクワクする
昔、学生だった頃、「授業をサボって何かをするとすごく楽しい」という経験はみんなあったんじゃないかと思う。ただ平日の昼間からそのへんをふらふら歩いたり、公園に行ったりするだけでワクワクする。~中略~ 多分、人間は思いつきやアドリブで予定を変更するときにすごく楽しさを感じるということなんだと思う。
昔よくやっていた「サボり」という快楽について書かれていた部分があり、これはやっぱりみんな意識してやっていたんじゃないかなと思います。
学生時代に学校や塾をサボったりして見る風景はなぜかとてもクリアに見えた気がします。
中でも面白かったのが、
僕がたまにやるのは「ライブなどのイベントチケットを買っておいていかない」ということだ。
これは新しいなと思いました。楽しみをとっておいたけどあえてそれには行かずに、もう一つの選択が出来るようにする余裕を楽しめ、ということなんでしょう。
更にphaさんはこのように続けます。
ちなみに今の日本の法律では、硬貨に穴を開けたりすると法律で罰せられるけど、紙幣を破いたり燃やしたりするのは合法だ。破壊するなら紙幣にしよう。
チケットを買ったけど使わないというところから一気に飛躍して、1000円燃やしてみたらどうか?快楽あるんじゃないか?ということに触れています。
例えば、お札を燃やした模様を動画に撮影してYoutubeなどにアップしたとしても法律では罰せられないということです。
この章で僕が思ったことは、『選択肢を多くすると選ぶ時の楽しみが広がる』ということ。そしてそれは予想外に僕らに楽しみをもたらしてくれる。
選択を1つに絞って真面目に物事をこなすよりも、あえて自ら壊す選択肢を設けることによって行動が活性化するという、ある種の実験的な章でした。
何もしないという事
何もせずにゆっくりしたいと思ったのに、ついつい仕事や家事のことなんかを考えて、「あれをやらなきゃ」となってしまって、ぼーっとできなかったりする。
僕は、ぼーっとしたいときは乗り物に乗るようにしている。特に用事もなく、あまり混んでない路線の電車になんとなく30分くらい乗って、適当に降りて知らない街をぶらぶらしてコーヒーの1杯でも飲んで、また電車に乗って帰ったりする。
いろいろやることが多くて疲れてしまった時って、乗り物はのんびりできていいなという経験は結構あって、「何かを出来ない状況」に追い込むと逆に楽なんじゃないかと思っています。
phaさんは他にも「丹田を意識する」ということについて言及されています。たまに寝る前に瞑想するのですが、確かにリラックス度は高まるし、丹田のことだけ考えていればいいので楽というのはあります。
僕は寝るときに目を閉じたあと、手前を見るようにすると頭でいろいろ考えてしまうので、斜め上をぼんやり見るような意識で寝ます。そうすると寝付きがよくなる。これも1つの「何かを出来ない状況に追い込む」ということに似ているんじゃないかなと思いました。
現代は情報が溢れているのであえて何もしないという時間を作って頭を休めないと疲れてしまい、それがうつ病の原因にもなるんじゃないかと僕は考えています。その点で「何もしない」ということにものすごく納得出来ました。
しないことリストを読んでみて
気持ちが楽になったというのが1番の感想でした。こうであるべきだみたいな風に考えていたことを、大丈夫じゃない?とそっと背中を押してくれる感覚がありました。
うつ病を抱えた方にもあてはまることが多いので、考えが行き詰った時に読んだら案外開放されるかもしれない。
こういう人がもっと増えて、周囲の人間とのゆるい関係性もありなんじゃないかと思える時代が来ようとしています。
全部100%ではなくて、やれるときに(やりたいときに)やっていれば、人生ってそこまで悪いもんじゃないかもしれないと思わせてくれたとても良い本でした。
鬱バンザイ!
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