今、シンディーローパーの『Girls Just Wanna Have Fun』を聴きながらブログを書いている。
ある本を手にして、久しぶりに80年代音楽に火がついたのだ。
それは80年代音楽に恋してという本。表紙の絵柄の懐かしさもあいまってついつい読んでしまった。
僕は82年生まれということもあり、小さい頃は80年代の音楽に埋もれるように生きてきた。
家族で親の実家へ帰省する途中の高速道路(ハイウェイ)を一定で続く水銀灯(ネオンサイン)に照らされて進む2時間のあいだ、かかっていたのはFMラジオだ。父は音楽が好きだった。
途中で車酔いをして、母の膝枕で頭を横にしながら聴いていた音楽達。
当時の僕は4〜5歳で、曲名もわからぬまま、そのキラキラしたシンセサイザーが乗る80年代の都会的な音を好んで聞いていた。
今思えば、山下達郎あたりなような気もする。歌詞がわからなかったのでひょっとしたら洋楽だったかもしれない。
とにかく、あの都会的なオシャレなムードを醸し出す音楽に僕は子供ながらにワクワクしたのだ。
80年代音楽のスゴさ
あらためて、80年代というのは音楽にとって絶頂期にあったのではないかと、本を読んで思った。
本の中には大好きなアーティストも、あまり知らないアイドルなどもいたが、系譜や文脈を知るのは面白い。
僕が小学生5年生の頃、兄が小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』をレンタルCD屋で借りてきた。
僕はそれをカセットにダビングし何度もリピートして聴いていた。
この曲は91年のリリースだけど、まだ80年代のバブリーな都会感を色濃く残していた。都会の夜を彷彿とさせるメロウな音楽だ。
小田和正の声の透明感と、都会の夜の風景がマッチして、儚さみたいなものを僕は感じていた。
日本の音楽レベルが飛躍的に上がった80年代
80年代当時、日本国内の音楽レベルが一気に上がったと思う。
CDの売上は90年代が最高らしいけど、80年代の音楽のレベルの上がり方は尋常じゃない。70年代と80年代には大きな開きがある。
原因はシンセサイザーという新しい楽器の登場と、録音技術が一気に上がったことだ。
ゲームで例えれば、ファミコンからスーパーファミコンになった時の衝撃はハンパじゃなかった。とにかく立体感がものすごかった。80年代の音楽はそれに似ていると思う。
僕がよく考えるのは、技術が一気に上がるとき『それでも人はレガシーなままである』というのがものすごく大事なことだと思っている。
これは『職人のレベルは高いままで、使える道具が飛躍的にスゴくなる』みたいなものだ。
YMOとかは顕著にそういった背景の元に生まれたグループで、フォークやロックやクラシックなどをやってきた人達の前に急にシンセという謎の楽器が出てきて、なんだこりゃ?って感じでハマったらできたって感じ。
道具が発達しすぎると、人間個々の平均レベルは下がる。情報収集のためのスマホが常に手元にあることで記憶力の定着が弱くなるのに近い。
しかし、80年代というのは、これまでいろんなことを人力のみでやってきたから個々のマンパワーがスゴい。
例えば、今ではPCのソフトでレコーディングをして、「ここを3秒カットしたい」という時に、その部分をマウスで選んでキーボードの「delete」を押すだけ。
これが、その昔は実際に録音テープをハサミで切って、短くしてから再度つなぎ合わせていたというから驚きだ。
要するに、一気に技術革新が来たというのが肝だと思う。
そうして、80年代の音楽は花開き、僕も例外なくその波に酔っていた。
Earth, Wind & FireなどのFunkにハマっていた
中学生になってから、叔父に大量のカセットテープをもらった。
70年〜80年代の音楽がすべて叔父の手によってミックスされていた。青春時代のベストセレクションというところだ。
このとき僕がハマっていたのはEarth, Wind & Fireで、小気味良いギターカッティングが乗ったディスコサウンドは子供でも腰がグイグイと動いてしまうほどのビートを刻む音だった。
特に僕は『September』や『Let’s Groove』が大好きで、巻き戻しては何度も聞いていた。ここではあえてLet’s Grooveを紹介したい。
他のアーティストの曲だと、Kool & the Gangの『Celebration』なんかもよかった。あとCon Funk Shun の『Too Tight』も最高だ。
今でも僕は「一番好きな音楽ジャンルは?」と問われれば「Funk」と即答する。
青春時代に流行ったビジュアル系や、インディーズ界を賑わせたHi-STANDARDなどのパンク・ハードコアも大好きで今でも聴くが、身体に染み付いてにじみ出てくるのはFunkしかない。
『16ビートで踊れる』みたいな音楽が僕の基盤になっているのかもしれない。
黒人音楽のノリが身体に合っていたので、その後のヒップホップブームへの流れもスムーズに受け入れられた。
阿佐ヶ谷のロックバーのマスターと
僕が住んでいた東京の阿佐ヶ谷のロックバーのマスターとはよく音楽の話で盛り上がった。
そこのマスターは僕の7〜8歳年上のアニキ的な存在の人で、音楽が大好きだった。
当時の僕はうつ状態で、昼間寝てしまい深夜1時頃に起きるという日がたびたびあり、寝るに寝られないのでそのロックバーへ行き、マスターと2人で山下達郎や竹内まりやを聴いて音に浸っていた。
山下達郎の音楽はなんといってもベースラインの気持ちよさにある。聴いているとついつい腰が動いてしまうのだ。
ギターのカッティングも素晴らしいんだけど、やっぱりベースのセンスが好き。基本的にドラムのキックとシンクロしていて、パーカッシブなベースが山下達郎節。
多分、ベースの音作りとかそういうレベルから好きなんだと思う。
曲は、音楽理論的にいえば7thを上手く使っている。
今聴いていても全く古臭い感じがしないというのはアレンジャーとして本物だと思う。
あと、コーラスのセンスが素晴らしい。もちろん声の伸び1つ取り上げても桁違いだ。
山下達郎は決してイケメンではないが、外見以外のものは全て兼ね揃えていると言い切れる。それほどスゴいアーティストなのだ。
大貫妙子と山下達郎
実は、僕が意識してこのあたりのニューミュージックと呼ばれる音楽を聴いたのは大貫妙子が最初だった。
大貫妙子が創りだす突拍子もない世界が大好きで、恋人との記憶を思い出しながら都会の公園を散歩しているかと思えば、突然ピーターラビットが出てくるファンタジーになったりする。この縦横無尽の世界観。
他には『色彩都市』なんかは超名曲で、何度聴いても坂本龍一のアレンジと大貫妙子の曲の相性が良すぎて感動する。
曲調はいわゆるJ-POPなんだけど、実はコードが複雑で、そのせいで曲全体に特有の浮遊感がある。でもマニアックにならず軽やかに聴かせてくれるのだ。
で、その大貫妙子と山下達郎が所属していたバンド『シュガー・ベイブ』から、山下達郎をあらためて聴き直したという感じだ。(シュガー・ベイブは70年代のバンド)
4〜5歳の時の記憶ってやっぱり色濃く残っていて、思わず身体が反応してしまう。
人間の五感の中において、嗅覚と聴覚の影響力はかなりでかいと思う。
イントロを聴いただけですぐに当時の鮮やかな記憶が呼び起こされるのだ。
音楽を語れる居場所がなくなってしまった
阿佐ヶ谷のロックバーでは、客がいない時を見計らって映画なんかも観た。
ここのバーのマスターの営業方針はとにかくフリーダムスタイル。
「今日ビール切れてるから前のコンビニで買ってきて。ついでに俺のも」みたいな。僕はそんなマスターが大好きだった。
アニメ映画の『秒速5センチメートル』はそこで初めて観たのを覚えている。
新海誠の作品はバーのマスターに教えてもらったのだった。あの映画も山崎まさよしの音楽の使い方が印象的だった。
これまで映画において、音楽の役割はいわゆるBGMで、味付け程度のものだった。だが、新海誠はまるで音楽そのものを聴かせたいがごとく音を使う。ちょっとした衝撃を受けた。
音楽好きの人と一緒に観ると、この映画の印象はだいぶ変わると思う。
今は僕が足繁く通っていたそのお店は、建物そのものが無くなり、たまに東京に行っても音楽を語れる場所がなくなってしまった。
しかし、音楽を語れる場所というのは、人間にとって必要不可欠だ。
80年代の音楽の話がしたい
これまでいろいろ聴いてきたが、まだまだ発掘していない80年代の音楽は沢山ある。
尾崎豊は昔から聴いていたけど、尾崎が影響を受けたという浜田省吾や佐野元春とか、ちゃんと聴いたことがないからこれから聴いてみたい。
アナログレコードの奥深い世界も、僕はまだ知らない。アイドルも深そうだけどこれまで全く興味がわかなかったので知りたい。
つい先日、音楽配信サービスのSpotifyを契約したので、少しずつ80年代の音楽をあさっているところだ。まるで中古CD屋をめぐるように。
音楽は人生を豊かにする上で大事なものだ。僕はもっともっと、素晴らしい80年代音楽のことが知りたいし聴きたい。
このブログを読んでくれていて、80年代の音楽が好きな人がいたら、ぜひ気軽に僕まで声をかけて下さい。
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