プロフィール

記事を見ていただく方が増えてきたので、わかりやすくプロフィールを書いてみました。

 

1982年生まれ。現在フリーランスとして活動中。

 

旅行、作曲、クラブ(踊るほう)、アニメ、映画、夏が好き。でも冬がめちゃくちゃ苦手です。

 

僕の性格と特徴は、

・のんびり

・カラっとした変態

・なぜか運が良い

こんな感じです。

勢いだけで過ごした10代

僕は千葉県の超ド田舎で生まれ、尺八演奏家で個人投資家であるほぼニート状態の父親と、敬虔なクリスチャンの母親に育てられました。

 

兄弟はゲームが大好きな兄が一人。いつも隣でFFやドラクエをやっているのをずっと見ていました。僕が今でもゲーム実況動画を観るのが好きなのは完全に兄の影響です。

 

この時は小柄ながらも超絶に走り回るやつで、とにかく誰かが来たらすぐに隠れたりして驚かせるイタズラが好きな小学生でした。

 

この頃学校でリコーダーの授業があり、全く吹けずに楽器コンプレックスに陥ります。

中学生時代

中学生活がはじまってすぐにいじめに遭い、人生で初めて死を意識する。

 

部活はテニス部に所属するも、既にエヴェンゲリオンにハマりまくり中二病だった僕はテニスに全く興味がわかず、部活中ひたすら遊びまくっていた結果、大会では予選敗退の連続でした。

 

そんなある日、家の倉庫で父が昔弾いていたアコースティックギターを発見し、すでに小学校時代のリコーダーの授業により楽器にはトラウマを抱えていたにもかかわらず、

 

叩けば音が出る。これなら僕にも出来そうだ。

 

という謎の理由からギターを始めました笑

 

最初はアコースティックギターでスピッツの弾き語りをしていたものの、その後バンド全般が好きになり、受験生にもかかわらず父にエレキギターをねだり買ってもらった結果、ハマりすぎて狙っていた学科を落とすことに。

 

中学生の時はひたすらL’Arc~en~Ciel とジュディマリのコピーに励み、並行してわけもわからないまま古いロックやブルースである、CREAMやJimi Hendrix、Led ZeppelinのCDをTSUTAYAで借り聴きまくっていた時期でした。

高校生時代

高校時代はギター部という名の軽音部の部長をしていたのですが、部員と楽器が足らず、部室を仲間のたまり場にしてただエレキギターを弾く毎日。

 

メンズ版+劣化版のけいおん!状態です。

 

何ヶ月かそんな日々を過ごして、部室に頻繁に来る友達同士でバンドを組むことに。

 

高校近くのそば屋の2階にある自作スタジオ(なんと1回2~3時間入って500円。安すぎ!)で酸欠になりながら黒夢、PENICILLIN、THE BLUE HEARTSのコピーバンドを掛け持つ。この頃友達から5000円で手に入れたベースを弾きだす。

 

同時にクリスチャンである親と仲の良かった同級生の影響でキリスト教の宣教活動を始めます。深夜まで楽器の練習をしていた僕は眠い目を擦りながら聖書のページをめくって勉強し、人前で講演することもありました。

 

しかし宗教の厳格な倫理観、方針のズレに耐えかねて、高校卒業と同時に家を出て東京の専門学校へ行くことを決意します。

 

この時はとにかく現状から逃げたいという一心でした。

上京~20代前半

専門学校へ

中学生の時からずっとバンドをやっていきたかったので、僕は音楽の専門学校に決め上京しました。

 

学校では音楽理論などを勉強しJazzとFunkに目覚め、地元の上京組とはハイスタやモンパチのコピーバンドをやりつつ、家では洋楽Funkを聴いて踊る日々。

 

東京の怖さにちょっぴり慣れてきた頃僕はもっと刺激が欲しくなってしまいます。

 

新宿二丁目のレズビアンバーに行ってはお姉さんにからかわれ、学校の友達と一緒にストリップ小屋に行き、そこに朝から晩まで溜まる年配の常連客を眺めたりして、これが僕の将来か?と楽しみつつも考えこんだりしてました。

学校卒業後・インディーズバンド時代

卒業後、新たに組んだバンドではギターボーカルとして参加して企画やイベントに力を入れまくり、体力を削りながらも地方ツアーを含め年間80本のライブをこなしました。

 

THE BAWDIES、凛として時雨、黒夢の人時さん、MUCCの矢口さん、更にはX JAPANのHIDEさんが在籍していたバンドでもある、元横須賀サーベルタイガー、D’ERLANGERのkyoさんと共演することもできました。

 

kyoさんは僕らの世代では神のような存在で、ずっと雑誌やテレビでしか知らなかった人との共演に最初から最後までビビりまくってました。僕は緊張してしまって、「すごいな」「いい人だな」くらいしか覚えてません笑 そんな感じで、どういうわけかいつも自分の実力以上の人達の周りにいることが出来ました。僕は本当に運が良いです。

 

また、音楽雑誌ではイギーポップの隣に自分のCDの紹介が掲載されたことがプチ自慢でもあります。

 

この頃がバンドのピークで、アルバムを3枚も出したにもかかわらず全く鳴かず飛ばずのまま、がむしゃらにライブをする日々が続きました。

鬱を発症する

更にバンドにのめり込みつつ、スーパーの店員やドコモの請求書印刷、派遣事務などをやっていました。

 

この後、ソーシャルゲームに力を入れていたDeNAにダメ元で面接受けてみたら予想外の合格。ここまでは持ち前の運の良さを引っ張ってました。

 

しかし、ここで自分を追い詰めすぎて鬱を発症してしまいます。

 

ある日、トイレの個室で起きた事件をきっかけに僕の人生は一変します。

 

その日は仕事中で、ちょっと残業してあと1時間くらいで終わるかなあという時でした。僕は突然気分が悪くなり、慌ててトイレに駆け込み座ると突然目の前が真っ暗に。

 

直後、涙を流すとともにほんの数秒間のうちに過去の記憶が何千枚もの写真として一瞬にして頭に流れてきました。視覚的には超高速スライドショーのような感じといえば伝わりやすいでしょう。そしてそれがいわゆる事故や死の直前に見るという『走馬灯』なのだと気付きました。

 

その数日後、無意識で通勤電車に引き寄せられそうになり、身の危険を感じ、仕事を辞めて2週に1度の心療内科通いをすることになりました。

 

お金が無かった僕は消費者金融からの借金とたまに入れさせてもらった派遣でどうにか食いつなぎます。思えば1番辛い時期で、時間感覚を全く感じることの出来ない不感症な日々を過ごしていました。

~健康について考えるようになる~

しばらくのんびりしたり、台湾に旅行に行ったりしていたら考え方も変化して少しずつ回復してきたので、心療内科通いも辞め、そろそろ何かはじめようと思い立ちました。

 

僕はどうにか働いて借金を返済し、その頃から健康についてあらためて向き直り、鬱への対策を考え出すようになります。

 

この頃、昔からのバンド仲間が作った会社に誘ってもらい働き出し、またラッキーなことに正社員にしてもらったのですが、引きこもり体質のせいで自宅での作業を進んでやるようになり、みるみるうちに自宅警備員化してしまいました笑

 

これはどうにかしなくてはということもあり、メンタル面では宗教や哲学とアイデンティティのバランス関係、フィジカル面ではサプリメントの使い方を独学で学ぶようになります(現在は特定の宗教への所属は無し)

 

食べる物はしっかり食べたほうがいい。捨てる物は捨てたほうがいい。こんな誰でも出来るようなことを一生懸命に考えつつ、少しずつ心と身体を調整していこうと決意しました。

 

まだまだ波はあるので現状維持+αを目標に、「鬱バンザイ!」「二番煎じで行こう」をモットーにブログで健康について発信していこうと思っています。

 

2016年7月現在

 

家賃の安い岡山県真庭市に単独移住。月額7000円のシェアハウスにて奮闘中。

 

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