いじめられて死を覚悟した僕は、音楽とバンドのおかげで生きる事ができた

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僕はこれまでの人生の大半の時間を音楽を作ることとバンドをやるための時間に使ってきました。

 

はじめてギターを手にした時から頭にあるのはずっとバンドの事だけでした。

 

正直なことを言えば、それまで僕には何も取り柄がありませんでした。

 

小中学校時代

僕は勉強が苦手な子供で、国語以外は全くできませんでした。なにしろすぐに集中力が途切れてしまうのです。

 

何かやっていても、10秒後にはそれまで何をやっていたのか忘れてどこかに行ってしまうというヤバい子供でした。

 

スポーツも足の速さだけ平均よりちょい上なくらいで、器械体操の部類はまるで何もできないという運動オンチ。

 

小中学校の時は身体つきも小さく、体力では完全に周りの子に負けている状態です。

 

いじめが始まる

そんな中、僕はいじめにあいます。中学一年の時です。

 

僕は全く空気を読まない人間でした。そういう性格もあって周りに過剰なことを言い過ぎてしまったのでしょう。

 

「俺は○○や○○だってなんでもできるよ!」

 

取り柄がなかった僕は注目されたい一心で、持ってもいない自分の力を必死にアピールしていたんですよね。でも実際は何もできません。

 

そういった積み重ねで、ささいな言い合いが始まりいじめはどんどんエスカレートしていきました。

 

今となっては考えられないのですが、当時の僕はなかなか真面目な性格で、「学校サボったり、逃げて死ぬのは親が悲しむからだめだ」と、毎日休まず遅刻もせず皆勤をとおしました。

 

でも学校にいる間はとにかく苦痛で仕方がありません。どんなことをしていても辛いのです。

 

途中から、『僕は学校に行ってるからいじめっ子達に負けてない』という変なプライドを持ちはじめていました。とにかく1年間学校を休んだり遅刻をしたことは一度もありませんでした。

 

幸い学年があがったと同時にクラスのメンバーがかわり、それまでいじめる側にいた子達と普通に接するようになりました。

 

毎日命の危険を覚えるほどの強烈ないじめの波が終わってみると、生きていることの満足感というのを僕は生まれてはじめて強く実感しました。

 

古いギターとの出会い

14歳。

 

ある日、僕は自宅の物置で父親が若い頃弾いていた古いギターを偶然見つけます。

 

20年近く放置され、ケース全体にホコリを被っていたのがなんだか逆にヴィンテージ感があってめちゃくちゃカッコ良かったんです。

 

そこからは毎日ギター漬けの日々です。指の皮が痛くなったら指にアロンアルファを塗り固めてギターを弾きまくってました。

 

取り柄があればいじめられない

学校ではいじめは終わったものの、相変わらず僕には何一つ取り柄がありません。

 

何か1つでも取り柄さえあれば、今後いじめられなくて済む。そう考えた僕は更に自分を追い込み修行僧のように必死にギターの練習をしました。

 

ギターは僕にとって1つの生存方法でした。演奏する楽しさもありましたが、それ以上に「生きる」「いじめられない」ことが先行していました。

 

勉強と運動はもう見限っていたので、部活の手を抜いた結果、あまった体力と気力を全てギターにつぎ込みました。

 

僕は生き続けるためにとにかくギターを弾きました。夏休みになれば、ご飯とトイレ以外はずっと演奏です。ギターと音楽が生活のすべてでした。

 

みんなができないことができていた

しばらくたったある時、1つのことに気が付きました。

 

あれ?ひょっとしてみんなができないことが自分にできてるんじゃないか?と。

 

その頃、ピアノが上手い人が自分のクラスにいたのですが、作曲はまだやったことがないみたいな話を聞いたことがありました。

 

そう、多くの人は楽器が弾けても作曲はできないんです。基本的に楽譜を見てその曲を演奏する、いわゆるコピーです。

 

その時僕はシーケンサーという機器と、当時流行りはじめていたWindowsのパソコンを使い、一つ一つ音を打ち込んで曲を作りはじめていました。

 

そもそも僕は小学生の時にリコーダーが吹けず、自分は楽器オンチだと思い込んでいました。パソコンでの作曲環境を得た時が、音楽の才能など微塵にもないと思っていた僕に取り柄と呼べるものが生まれた瞬間でした。

 

モテるためのバンド

中学時代は「生きる」「いじめられない」ということだけだったのですが、そこをぬけ出すと一段上のステージの欲求が出てきました。

 

モテたい!!

 

そう、僕はモテたくなってしまったのです。

 

とにかく女子にモテたいその一心でパンクバンドとヴィジュアル系バンドを2つかけもちし、地域のイベント、高校の文化祭、先輩主催のライブ、同世代グループでジャズバーを貸しきってのライブと、とにかく手当たり次第出まくりました。

 

結果的にモテることはありませんでしたが、バンドを通してみんなで1つのことに熱を入れることの楽しさがわかりました。ステージの上から客席を見る時の下っ腹からこみ上げるワクワク感、ライブが終わった瞬間の爽快感は今でも言葉にできません。

 

しかし、この時はまだいわゆるコピーバンドが主流で、自分が作ったオリジナル曲はスタジオでちょっと演奏する程度で本番では披露できませんでした。

 

僕はとにかく自分の作った曲を誰かに聴いて欲しかった。そんな一心で東京に出ることを決意しました。

 

上京してバンドを組む

東京に引越してから新たに大所帯のスカパンクバンドを組み、そこでは作曲を担当し朝まで寝ないで曲作りをする毎日がはじまります。

 

他のことは全く集中できなかった僕が、曲作りだけは何時間かけても全く集中力が途切れないのが不思議でした。

 

当時の僕は若さも手伝って尖りまくりです。練習にこなかった年上のメンバーにクビを宣告するようなとんでもないやつでした。

 

今考えれば、管楽器が入るような大所帯のバンドに練習を休むメンバーがいるのは当たり前だし、むしろそういう変化のある状況を楽しもうと思うのですが、当時はとにかく上に行きたい一心で身を削ってたので余裕がありません。そんなことは全く考えられなかったのです。

 

それでも当時、自分に厳しく他人に厳しいというスジだけは通してがむしゃらにやっていたので、メンバー達がついてきてくれたのがありがたかったです。

 

空気が読めないことが利点になった

僕にとって最大のマイナス点であった「空気が読めない」というのも、バンド活動においてはそのすべてを生かしきることができました。

 

売れない時期のバンドはステージ上において目立ったもん勝ちなので、空気など読んでいては頭1つ抜けることができないからです。

 

そもそも僕は自分のペースでやってるだけで良くも悪くも目立ってしまうタイプの人間でした。上京してからはひたすら自分の直感のままにステージを動きまわり、その結果自分達の実力で様々なイベントに呼んでもらえるようになりました。

 

その後、3年ほど活動した大所帯のバンドは解散することになり、僕は知り合いに誘われ別のバンドを組むことになります。

 

顔が面白いという理由でギターボーカルへ

これまでギターと作曲だけでやってきた僕は、どういうわけか新しいバンドでギターボーカルに転身します。

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とはいえ僕は決して歌が上手いわけではありません。僕を誘った理由をメンバーに聞いたところ、「演奏中の顔が面白くて可能性を感じた」ということだけ。なんじゃそりゃ!

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・・・と思ったのですが、久しぶりに昔の写真を見返すと、これは確かにそうかもしれないです。

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理由はともかく、その新しいバンドでは最初から大きなイベントばかり参加させてもらい、プレッシャーにやられそうでした。

 

というのも、当時組んだメンバーは年間100本以上のライブをこなし、ひっきりなしに地方へ行きツアーライブをやりまくるような人気バンド出身の方だったのです。そんなこともあり毎回ライブのお誘いが入ってきました。

 

ある時は、お客さんに替わりに楽器を弾いてもらったり、、、

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そうしてライブをこなしていく中で、いわゆる当時有名なバンドの方達と一緒のステージに立つという貴重な経験ができました。

 

ライブ後に凛として時雨と。

1000 のコピー

 

他にも小さい頃から何度も何度も、ダビングしたカセットテープがよれて聞けなくなるほど曲を聴いてきたような人達とも一緒にライブをやりました。

 

それまでテレビや雑誌で見ていた人と突然一緒の楽屋になり普通に話すという環境に飛び込む。それはそれはものすごく不思議で感動的な気分でした。

 

あの時、命を脅かすほどのいじめがなかったら、僕がそういった華やかな場所に行くことは絶対になかったです。

 

いじめられた結果、僕は生きる方法をあみだすことができて、それをひたすら続けていたらいつの間にかそこにたどりついていました。

 

今もバンドに生かされている

僕は今、音楽を仕事にしていません。今後も仕事にするかどうかは全くの未知です。

 

それでも、今後も生きていくためのすべを音楽とバンドから見出すことができました。

 

バンドを通じて付き合いの深くなった仲間と一緒に会社をやり、辛いうつ病から立ち直ることができたからです。仲間には本当に感謝しています。

 

そして今僕が岡山県にいるのも、最初のバンド仲間の縁があったおかげです。彼らがいなければ僕は東京や地元で何も変わらない生活を送っていたことでしょう。

 

やはり、僕は今でもバンドと音楽に生かされ続けているのです。

 

時間の使い方を変化させよう

今、自分に何もないと悩んでいる人にも、僕にとってバンド活動をはじめるきっかけになった『種』のようなものが必ずどこかに存在します。

 

命の危険が間近に迫れば、人間は生きるために自動的に眠っていた力を発揮します。そうすると種が発芽するかのように一気に状況が変化します。僕がそうでした。

 

身を削るようなチャレンジや修行というとちょっと高いハードルのように思えるかもしれません。なのでまずは日常から変わったちょっと刺激的なことをしてみるということをオススメします。

 

例えば旅行でもいいですし、自分と全く違うジャンルの人と会って話すのもいいです。

 

僕も岡山に移住するような刺激的なことがなければ、このような記事を書くことすら思いつきませんでした。

 

もし、今悩みを抱えている方がいたら、思い切ってこれからの時間の使い方を変化させてみてはいかがでしょうか?

 

今日からでもできますよ!